極楽浄土へ行くために集めたお札
昔、人が亡くなるとお葬式が終わった後、喪服から普段着に着替えてに秩父山に登りました。秩父山にはお堂があって、そこにお札を納めに行きました。お札は七札納めないと極楽浄土に行けないといわれていて、一札33枚なので231枚納める必要がありました。1人1枚のお札に換算するので231人の人たちが登り故人が極楽浄土へ行けるように祈りました。この時、お札の数を椿の葉を使って数えました。
お堂に登った人が椿の葉を1枚取り、バケツに入れ、それを親族が数えたのです。親戚や友人が多い人は1日で七札(231枚)集まるのですが、そうでない場合は、庵屋堂(あんやどう)という秩父よりも行きやすい場所に別の日に行ってお参りし、七札までお札を集めました。
お正月飾りについて
義父と義母が神仏にとてもこだわりをもつ人たちでした。お正月飾りについて義父は購入したものでは気に入らなくて、自分で稲を苗から育てて、刈って、すいて、綺麗なしめ縄を編んでいました。しめ縄にも全てに意味があって、3本、5本、7本、七五三になっていて、飾りの橙(だいだい)海老、ウラジロ、ゆずり葉は、「代々、海老のように背が曲がるまで譲れるように」と願いが込められていて、ウラジロは「世の中には裏も表もあるよ」という教えだそうです。こういうものを全て手作りで作って神様にお供えしました。他にも、玄関、仏様、台所に飾る飾りを毎年義父が作っていました。このお正月作りを作るために義父は12月半ばくらいから、一切他のことはやらずに作業しました。大変だ、大変だと言いながらやるので、そんなに大変ならやめればいいのに、と当時は思ったものでしたが、誰でもできることではないことなので、この飾りを記録してとっておきたいと思って写真に残しました。義父や義母が亡くなってから、やってきたことがこうして世に知れて、皆に知ってもらえて、自分も文化や伝統を知らせる役目を担えて嬉しく思います。
ばあちゃん(義母)が大事にしていた風習
おばあちゃんには本当に色々なことを教わりました。「やかんには必ず水を少し入れておくこと、空にしておくとスッカラカンと言っていつもお金に困るから。」という話や、「ハンガーに洋服をかける時には、北向きにかけていけない。」「ご飯をよそる時は、必ずしゃもじで二回よそりなさい。」北向きにするのも、ご飯を一膳よそるのも人が亡くなった時にやることだからと。
十三夜、十五夜の慣わしについては、十三夜の時は萩を飾って、団子はふかさないで生のまま潰した形でお供えして、十五夜の時には蒸してお団子にしてお供えしたものでした。毎年恒例のことで大変なことでもありました。
ばあちゃん(義母)の信仰心
義母は特定の宗教を振興していたわけではなく、神仏への信仰心が厚い人でした。そのため、朝晩、神棚と仏様にお塩、お水、炊いたご飯をお供え明かりを灯してお祈りをしていました。1年間の行事も花正月から始まり、節句、十五夜、お盆、お正月などそれぞれ準備があって、特にお盆とお正月は大変でした。若い頃はそんなにこだわらなくもいいのに、生きている人より死んだ人の方が大事なのではないか?と思ったこともありましたが、この時代になってだんだんそういうことをする人がいなくなっていき、行事や準備、風習を大事にしていくことは良いことだったのだと感じています。今では義母のやってきたことは、この時代にはもう少し、残すべきものだったと思っています。義母が書いた神津島の行事や風習記録の冊子があることで、皆さんにお話できることができて嬉しく思っています。
ばあちゃんが信仰に熱心だった理由
義母は神仏を敬うようになったのは、娘が小さい時に体が弱くて大病して死にかけたことがあったそうです。その時に、娘を助けるために藁をもすがる気持ちで神様、仏様を信心しなさい、と言われことがきっかけだったようです。義母はその時に、自分が一番好きだったミカンをもう一生食べませんので娘の命を救って下さいとお願いし、その誓いを死ぬまで守り抜いた人でした。