物忌奈命神社
~「明神さま」と
親しまれる島の鎮守の神様~
- 創建
- 不詳
- 鎮座地
- 前浜港上
- 社格
- 式内名神大社
- 御祭神
- 物忌奈命
(ものいみなのみこと)
- 通称
- 明神(みょうじん)さま
- 例祭日
- 8月1日
式内名神大社
御祭神の物忌奈命(ものいみなのみこと)は、事代主命(ことしろぬしのみこと)の長子で、母神は阿波咩命(あわのめのみこと)です。事代主命は、縁結びの神様として知られている大国主命(おおくにぬしのみこと)の長子で、伊豆半島を足場にして伊豆の島造りをされた神様といわれています。事代主命との縁の深さから、物忌奈命神社は母神を祀る阿波命神社とともに、式内名神大社に列せられている格式の高い神社です。東京都において名神大社は、神津島に鎮座する物忌奈命神社と阿波命神社の2社のみです。
氏子たちが支える神社の造営
本殿に続く表参道には88段、裏参道には47段の石造りの階段があり、巨大な鳥居が表参道に2基、裏参道に1基あります。これらの膨大な石材は、氏子の奉仕作業により人力で運び出されたものです。特に鳥居の巨大な粗材石の運び出しは、その役目を担おうと南組と北組に分かれた当時の若者たちによって、激しい競争が繰り広げられていたそうです。ただ、石造であった一の鳥居は、2000(平成12)年の震災により倒壊。その後、島民の寄付により、鉄筋コンクリート製の鳥居に建て替えられています。
拝殿から参拝
右大神・左大神を配する随身門(ずいしんもん)をくぐると正面に拝殿があり、参拝者はここから神様にごあいさつすることになります。拝殿の背後には本殿があり本殿の内部には内宮(ないくう)という社殿があり、このなかに御神体が納められています。
※本殿は立ち入り禁止となっております。
境内に祀られている摂社・末社
物忌奈命神社の社域は3125坪もあり、境内には摂社・末社が多く祀られています。幣殿廊南側の覆屋内に弁財天、秋葉神社、窯(かまど)神社、風神社、稲荷神社、東照宮が祀られ、拝殿北側の二棟の覆屋内には、三島神社、八幡神社、春日神社、新宮神社、阿波島神社、唯根島神社(ただなえじんじゃ)、恩馳神社(おんはせじんじゃ)が祀られ、この他にも表参道、裏参道にいくつか末社が祀られています。
事代主命との縁を示す薬王殿
物忌奈命の父神・事代主命が伊豆諸島を造成した神事は、薬師如来の霊力であるという思想があります。これに基づき、三嶋大社系の神社はすべて境内に薬師堂が祀られているといわれています。物忌奈命神社も本殿の近くに薬王殿があり、5~6歳の童子くらいの大きさの御本尊が祀られています。毎年1月8日に御開帳され、人々に崇敬されています。
物忌奈命神社の神事
物忌奈命神社の例大祭は毎年8月1日に行われています。また、翌8月2日に行われる「かつお釣り神事」は江戸後期11代将軍家斉公の時代に始まった行事で、国指定の重要無形民俗文化財に指定されています。かつて、神津島の漁師たちは荒海で手漕ぎ四丁櫓などでカツオを漁獲し、無事に帰ることができたことを神に感謝していました。「かつお釣り神事」はこれに由来し、古式にのっとったカツオ釣りが再現、漁師たちが駆け回り、島民をカツオに見立て釣り上げる楽しい行事です。
阿波命神社
~事代主命の后神
「長浜さま」を祀る社~
- 創建
- 不詳
- 鎮座地
- 長浜海岸奥
- 社格
- 式内名神大社
- 御祭神
- 阿波咩命
(あわのめのみこと)
- 通称
- 長浜(ながはま)さま
- 例祭日
- 4月15日
事代主命の本后
御祭神の阿波咩命(あわのめのみこと)は、事代主命(ことしろぬしのみこと)の8柱の后神のなかでも本后とされ、格式の高い女神でした。ですが、後后の伊古奈比咩命(いこなひめのみこと)が冠位を授けられながら、本后である阿波咩命には沙汰がなかったことから憤り、838(承和5)年の天上山大噴火が起きたという記述が『続日本後記』にあります。その後、阿波咩命と御子神の物忌奈命は朝廷より冠位を授けられ、事代主命と縁の深い神として高い社格を保っているといわれています。物忌奈命神社同様、阿波命神社も式内名神大社に列せられています。
長浜海岸(五色浜海岸)
阿波咩命が鎮座する長浜は、島の中心地から北へ3キロほどの場所にあります。名前が示すように長い磯の浜で、海岸には青、赤、黄、黒、白と色とりどりの玉石があり、「五色浜」とも呼ばれています。五色浜には、事代主命があちこちに后をつくることに嫉妬した阿波咩命が后たちの宝石を奪い集め、これが玉石になったという伝説があり、今でも、海岸の石を持ち出すと神罰が下ると言い伝えられています。
神を表す潮花
長浜海岸の奥に鎮座する阿波命神社の鳥居や本殿前の階段などには、波に洗われた砂を盛った扁平な小石が供えられています。これは「潮花」と言い、大漁の祈願や船出の安全を祈る時に供える習わしがあります。「古代、神は海から来訪すると考えられ、海辺の砂や小石にも神が籠るとされ、それを神に捧げたもので、潮花は神を表しているもの」と言われています。
東京都史跡指定の旧跡
長浜海岸を背に、木々に覆われた鬱蒼とした参道を歩いていくと境内を横切って小川が流れています。そこに架かる神橋を渡ると、右手に古代の様式を伝える旧跡が現れます。この海岸の丸石を積み重ねた二十数段の階段上の狭い敷地に、かつて阿波咩命は祀られていました。しかし、大正時代の終わり頃、事代主命の本后として格式に相応しい社殿の造営が計画され、1932(昭和7)年に新しい本殿への遷座式が行われました。その後、旧跡は古代様式の貴重なものであることが認められ、1958(昭和33)年に東京都史跡に指定されています。
日向神社
~物忌奈命神の弟神を祀る
多幸湾海岸上の社~
- 創建
- 不詳
- 鎮座地
- 多幸湾海岸上
- 社格
- 無社格
- 御祭神
- とうなえの王子
- 通称
- 日向さま
- 例祭日
- 11月15日
夭逝された阿波咩命の次子
日向神社の創建・成立など詳細は不明ですが、鎌倉時代完成の『三宅記』には、三嶋大明神の后に「神集島の長浜の御前」がおり、その子として物忌奈命と「とうなえの王子」という二人の王子があったと記載されています。「長浜の御前」とは阿波咩命を指します。「とうなえの王子」は日向神社の御祭神ですが、夭逝された(若くして亡くなった)との記述があるそうです。物忌奈命神社、阿波命神社、日向神社の3つの神社は、いずれも三嶋大社との関係が伝えられる神様を祀っていることになります。