水配り像
Mizukubari monument
海
伊豆諸島創生という大事業を成し終えた事代主命は、各島に后・妃・御子といった神々を配置します。そして神々の会議が神の集まる島(神津島)の天上山、不入ガ沢で行われました。会議の議題は生活に一番大切な水の確保であり会議は粉砕したようです。
水配り像について
その昔、伊豆諸島の中心である神津島の天上山に、島々の神々が集まり会議をしました。一番大切な会議は、命の源である「水」をどのように分配するかでしたが、そこで次の朝、先着順に分けることになりました。いよいよ朝になり、一番早く着いたのは御蔵島の神様でした。御蔵島は最も多くの配分を受け、次は新島、三番目は八丈島、四番目は三宅島、五番目は大島でした。こうして水は次々と配られ、最後に寝坊した利島の神様がやってきたときには水はほとんど残っていませんでした。それを見た利島の神様は怒り、わずかに残った水に飛び込んで暴れまわりました。この水が四方八方に飛び散り、神津島ではいたるところで水が湧き出るようになったと言われています。