観音堂(西国三十三観音霊場)
kannondo
旧跡・名所
「西国三十三観音霊場」を模してつくられました。
荒磯の岩石の間を歩き続け、ようやくたどり着くことのできる神津の秘境とも言える場所です。
観音堂について
ここ「観音堂」は、かつての島民が「西国三十三観音霊場」を模してつくった霊場です。
村落から島を北東に横断した位置にある切り立った崖を下ると海岸近くに見ることができます。今でこそ道路が開通し、観音浦海岸真上まで車で行けるようになりましたが、終戦の前までは、山道の入口へ行くまでに苦労したと言われています。現在でも、お堂のある観音浦は、険しい崖を降りたり、荒磯の岩石の間を歩き続け、ようやくたどり着くことのできる神津の秘境とも言える場所になっています。
険しい道のりゆえに、暑さの厳しい夏は避けて、秋から春のシーズンに登ることをおすすめします!
基となった「西国三十三観音霊場」の成立は、養老22年(718年)と言われています。大和国の長谷寺の開基である徳道上人が62歳のとき、病のために亡くなってしまいますが、冥土の入口で閻魔大王に会い、生前の罪業によって地獄へ送られる者があまりにも多いことから、日本にある三十三箇所の観音霊場を巡れば滅罪の功徳があるので、巡礼によって人々を救うように託宣を受けるとともに起請文と三十三の宝印を授かり現世に戻されました。そしてこの宝印に従って霊場を定めたとされています。
神津島では誰が、なぜこの場所に建てたのか等、歴史的背景は明らかになっていませんが、島民にとって「観音浦」は、七七忌(四十九日)の前に観音浦霊場にお詣りしないと、死者が成仏できないと昔から言い伝えられている霊場で、基となっている西国三十三観音霊場の成立と似通った点がやはりあるのかもしれません。
このお詣りの習慣は、現在では残っていない習慣ですが、当時は、亡くなられた方の親類・友人・知人等は、幾日も前からこのお詣りの準備をする習慣があったとも言われています。
お堂への道のり
山道入口からお堂までは往復4時間ほどかかります。
神津島前浜港より車で45分で観音浦への山道へ到着します。
山道の入口には、左の写真のような看板があります。これを目印に山道へ!
山道の初めの5~10分は緩やかな道が続きますが、その先へ行くと切り立った崖に沿った山道のため、ロープを使って降ります。
足元には十分注意して、ゆっくり降りてください。
山道に入って30分ほどで崖の下の海岸に出ます。
眼下には、美しい海を見ることができます。
島の人もあまり訪れない為、海岸を独り占めできるかもしれません。
岩場に腰かけて、昼食をとっても良さそうです。
降りてきた山道の出口から南の方向へ海岸を歩いていくと、山側にお堂への入口が現れます。目印となる看板があり、そこから林の中に入っていきます。
看板からは、歩いて5分たらずでお堂が左手に現れます。
お堂の奥の石段を2~3段上がると、33基の観音様が順不同にはなっていますが、コの字型にキレイに並べられ、祀られています。